
そもそも、土佐藩は山内氏を藩主としているが、山内氏に国を奪われた長宗我部氏の人気が高い。その長宗我部氏の家臣であった一領具足(半農半士)の多くが、郷士(ごうし/下級の武士)という身分に改められ山内氏に仕えている。そして、長宗我部氏の血脈は、幕末まで受け継がれ、郷士は維新の志士となって活躍している。ゆえに、山内氏直系の家臣にも優秀な人材は多いにも関わらず、郷士出身者の人気が高い。同様に、安芸は戦国時代、安芸氏の領地だったところ。四国を平定統一した長宗我部氏に挑み、勇猛に闘った安芸國虎の人気は、今日においても変わりがない。それを日本人の人情の問題と言えばそれまでだが、浪人からの日本経済のトップに登りつめた弥太郎に、國虎の姿を重ねる安芸人がいても不思議ではない。つまり、國虎の夢を弥太郎が果たしたということ。
話が少し脇道にそれてしまったが、岩崎弥太郎生家は、今も保存、公開されている。当然ながら、地下浪人という身分のため土居郭中と呼ばれる武家屋敷の中ではない。西の田園地帯の一画にある。しかし、その屋敷を訪ねてみると、まず、違和感を覚える。かなり堂々とした構えの邸宅である。土居郭中の武家屋敷より敷地も広く、家の梁も太い。ただし、造りは農家風で、坪庭などに僅かに武家の香りがする程度である。言い伝えによれば、岩崎家は弥太郎の祖父の時代から地下浪人で、貧しかったということになっているが、その伝聞をそのまま信じるのは難しい。
